ツールドおきなわ2013:市民レース140km

今年の「おきなわ」が終わった。

ツールドおきなわ市民140km】

24位 1015 赤澤和徳 アカザワ カズノリ 49歳 岡山県 チームWave 4:29:23.747 12:25.32 31.18km/h

大会公式リザルト




レース終了後の夜は、独りホテルの沖縄料理の店で
ささやかなる打ち上げ。


体の疲労はMAXなんだがアドレナリンが
収まっていないのかいくら飲んでも酔わないし、眠くもならず。


レースを振り返ってみる。


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【レース当日】


天気は快晴、風もほとんどなし。
あまりにベスト過ぎて逆に暑さを心配する声も聞かれたが
私は暑さはまったく気にならないタイプにつき気にも留めず。


ただ、後になってよくよく考えてみると30℃近い気温で
ダメージがなかったかと言われればあったような気もする。


確かに今回はドリンクの摂取量が少ない私でも
ボトル2本が空になった(それでもかなり少ないと思う)。


実際、レース中、レース後の各選手の疲労度は昨年の比ではないように思えた。
全体のタイムも昨年より低いし、完走率も50%以下。


210kmの優勝者はレース後、熱中症で病院に運ばれたらしいし、
100km参戦のJINさんもラスト区間は熱でやられて時速20km/hだったそうだ。


そしてレース。
140kmのスタートはホテルから1kmほどの国頭の道の駅。


スタートの予定は8:50だったが突然8:20頃に、8:38スタートのアナウンス。
400人ものロードマンの緊張が一気に高まるのが分かる。



オフィシャルの運営はかなりアバウト(笑)。


ゼッケン番号が若いから前に並べるかと思いきや、
そうしたアナウンスもなし。結局、先着通り集団の中盤辺りに
並んでいたのだが、これまた突然スタート3分前に
「人数が多いので2車線いっぱいに並んでもOK」のアナウンスが…(笑)


たまたま右列にいたので要領よく、そのままスルスルと右最前列へ移動。


隣に並んだ三柳さんと「アバウト過ぎるわな」と爆笑。


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地元の方々の声援を受けながらレースは賑やかにスタート。
ほとんどアップなしだったので意識的に脚を回して心拍を上げる。


スタート10分後くらいか。美しい海岸線を行く400人の大集団。
端から見たら壮観だろうなと思いつつも、周りの緊迫した空気はそのまま。


そのうち私の後方で罵声。その直後、乾いたクラッシュ音がしたかと
思うと再び罵声。いきなりの集団落車。何でもない直線路で。


脚使ってでも前に位置取りしておいて良かった。


その後も挙動不審な人物からは慎重に距離を取り、
トンネル内は逃げ場がある右列を選択する。


やる気満々の大集団の勢いか、あっという間に与那まで到着。
当然だがまったく脚は使っていない。


この右折地点から1回目の普久川ダムへの登り。ピークまでは7.5km。


ヘタをすると現状の調子ではここ一発でレースが終わる可能性もある。
と認識しての登り始め。とはいえ認識してもキツいものはキツイ(笑)。
とにかく省エネで。接触だけは厳禁、リスタートがキツイので。


ただ入りは、流石にゆっくりめ?


そう思っていたら斜度の上がる2.5km地点辺りから
やはりペースも上がり、ジワジワと絞められるようなキツい展開に。


瞬間的にGARMINを見ると300watt前後を行ったり来たり。
最初は10番手辺りが徐々に下がり始めて20番手辺りに。


「マズイな」


思考的には黄色信号点滅。


そこからは斜度が緩くなったところでできるだけ前へ上がる。
上がった分だけキツくなった時のマージンにする。


イーブンで踏めないのは走り込みが足りない証拠だ。でも仕方ない。


もうそろそろピークか、と思わせぶりな視覚もツラさを倍増させる。


「もうヤバいかも」と思った時に「山岳賞ポイントまで1km」のサイン。


まだ1kmも!


本当に泣けてくる。


それでも最後は回し切って何とか先頭集団でピークをクリア。


ちなみにこの区間、体重の4.55倍だった。


今シーズンの20分間出力ベスト。当然、私的にはMAX。


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そして下りに入ると…


遅い(笑)。


毎年思うがおきなわは一部を除き、下りが遅い。
下りが遅い私が思うのだから相当遅いのだろう。


とはいえ上位の数名は当然速いので中切れをブリッジしながら前へ上がる。


そこから奥へ向かうのは、初体験のコース。
ヤンバルのジャングルを縫うように走る快速路。
適度なアップダウンは快適でつい上げたくなるがここも省エネで。
おきなわは突然死があるから…先は長い。


山岳で遅れた後方集団も合流し、再び大集団は与那をめざす。


途中、100kmカテゴリーのスタート地点、奥を通過。
すでに市民100はスタートしていた。


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この辺りになると、集団内でウザいのが二人ほど目に付く。
調子に乗っていちいちラインを変えるので「まっすぐ走れ」と声。


平常心が戻ったのを自覚する(笑)。


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そして2度目の普久川ダムへの登り。


レースの大勢を決めるであろう実質的なリストラタイムの始まり。


2km地点あたりか。
途中土砂崩れのため2車線が1車線になっているのを1回目の通過でみんな知っている。


あそこで必ず前が詰まるから(下手したらストップの可能性もある)
当然、みんな前へ前へと位置取りを開始、もう辺りは殺気ムンムン(笑)。


左車線が封鎖だから右車線を進む。


1回目でアクシデントが頻発したのだろう、2回目の時は誘導員も出て、
パイロンの位置が変わっていた(最初からそうしなさいよ・笑)。


それでも罵声が轟々、危うくハスりそうになるも何とか通過。
そういう所に限って前はちゃっかりペースを上げている…。


そこからはひたすらサバイバルゲームの様相。
「チクショー」「嗚呼〜」といった断末魔の声が後方からちらほらと。


ここは当然MAX、だが心なしか1回目よりも楽な気もした。


先頭集団の15番手くらいでピークを通過。


あまりのキツさのためか、その後、ずっと親指が痙攣していた(笑)。


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結果的にその後、下り切って再び登り始めた安波(75km地点)で
ジワジワと先頭から遅れ始め、ピーク手前で失速。


心肺は問題なかったのだが、脚が動かない。


ダメージは沸点を超え、サドンデス(突然死)。


実質的な「おきなわ」はそこで終了した。


その後は一度リセットし、100kmクラスの方々を
パスしながら7kmほど単独走。


後方からの集団を気にしながら進んでいたら
後ろから来た大集団はなんと100kmクラス…


一瞬迷ったが、ほとんどペースが変わらないので必然的に同乗することになる。


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そしてペースは上がらない(笑)。


特に上げたい平地と下りがまったく上がらない。


最初は「ワシ、カテゴリーが違うから…そっちでやって」と様子見していたが
平地と下りは積極的に牽く人もおらず、結局途中から自分でペースアップを図る。


10人くらいの集団だったが、単独で行くにも
両脚は負荷をかけるたびに定期的に痙攣寸前。
突然死?


補給を摂りながら、回復を図りながら、大浦までの海岸線を凌ぐが
暑さも最高潮で集団はほぼゾンビ状態。ふらつく人も多数。


結局、大浦からのラスト15kmで自然に独りとなる。


そのままギリギリ持ちそうなペースで羽地ダムへの登りへ進んだが出力は低い。


誰と競り合うこともなく(虚しい)、淡々とピークを過ぎ、川上への下りへ。


最後の平坦路で後方から二人(100km)が合流してきたが、一人は余力はなく、
早々と千切れ、もう一人も前を牽くことはできずで
結局、先頭を牽いたままイオン坂を通過。


そこで後方からバイクがやって来て
「210の先頭が来ます!」ってまた去年の再現かよ!
と思って左側を大人しく走っていたら単独エスケープの選手が通過。


ん?白石選手?


ジャージが違う。
後ろを見ると集団の姿はない。


そこからはその強者に敬意を払いつつ、邪魔のないよう距離を空けて同ペースで。


後方から210km単独逃げという素晴らしいゴールを見ながら自分もゴール。


前述の通り、優勝者はその後、病院へ行かれたそうだ。
紛れもなき完全燃焼、素晴らしいな。


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結局、75kmからは140kmカテゴリーの選手を2名抜いただけで
後方からの集団はもちろん選手にも会う事なし。


結果的にサイクリングとまでは言わないがTTな走りでロードレースの醍醐味はない。
ただキツイだけの展開のない、おきなわとなってしまった。


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ただ強がりではなく、今回の結果には満足している。


特に2回目の普久川を先頭集団でクリアできたのは次につながる。


ゴールして一番に思ったのは、


今回、本当におきなわから逃げなくて良かったと。


ケガを言い訳に、弱気な自分を慰めて、チンケなプライドに固執しなくて良かったと。


全身攣りまくりでも一瞬だけでも勝負できて良かった。


オクマのバカ高い宿泊料金も少しは元が取れたか・笑(取れてねえよ)。


肝腎な時に逃げ癖のある弱い私の背中を押してくれた


水色さんには感謝している。


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来年は人生50年、50歳の節目。


願わくば今年一瞬掴みかけた人生最速の自分でもう一度勝負がしてみたい。


練習してくれるメンバーは最強・最高。


自分がズルせず、逃げなければもっと前で走れると信じている。


また明日から。


よろしくお願いします…かな。