ツール・ド・おきなわ2016 市民レース210km:備忘録
【ツール・ド・おきなわ2016 市民レース210km:備忘録】
リザルトから…
139位(出走371人 完走177人)
6時間13分43秒929
ログから…
獲得標高 2539.6m
TSS 350.6
NP 195.9W
Ave 164.9W
Ave.cdc 86.0rpm
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沖縄を走るのは今年で6回目。
100kmを2回、その後140kmを3回、
そして今回初めて210kmにエントリーした。
初参戦当時47歳だった私も今や立派な52歳10か月となった(笑)
個人的ミッションはふたつ。
アマチュア最高峰のレースでリザルトを残す。
ひとつでも上の着、一秒でも速くゴールすること。
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そして11月13日(日)の朝。
4時50分起床。
ベッドから立ち上がった時の身体の感覚は悪くない。
脚に浮腫もなく、コンディションはベストに近い状態。
家内と一緒にホテルの朝食を摂る。普段の旅行と変わりなく。
ご飯と味噌汁とスクランブルエッグと鮭などなど。
特別な意図など何もなく、食べたい物を中心に。
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6:30ホテルを出発。
まだほの暗い中、家内に見送られてスタート地点へ向う。
その道のり約5km弱。
そして何故か後ろのギアが変わらない!(笑)
「ないわ、ない!」
ツールド宮古島の悪夢が一瞬にして蘇る。
それでも会場まで行けばメカニックの方が何とかしてくれる
だろうと思いつつ下りに入って一枚ずつギアを
上げて下げてを繰り返していたら
どうにか11枚変速できるようになった。
原因は思い当たるが(私のセッティングミス)
詳細はここでは触れない。
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スタート1時間前に会場到着。
すでにシードを除くほとんどの選手が待機していた。
当然だが210にデブはいなかった(笑)
巧妙に移動をやりくりして最終的には前から5列目あたりをキープ。
スタート3分前にディフェンディングチャンピオンの高岡選手が
悠然と最前列に陣取る。その周りに武井選手はじめビッグネームがズラリ。
一気に緊張感が高まったが、なぜかビッグネームの向こうで
家内が手を振っている…「ひゃ〜」みたいな(笑)。
あとで聞けばホテルからの5kmの道のりを走って来たらしい。
そしてスタート後は御百度参り的に20kmラン完遂…
本当にいつも彼女には驚かされるw
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そして7:45定刻通りスタート。
371人の猛者たちがゆっくりと動き出す。
天気は快晴、風も3mくらい、申し分ないコンディション。
みむtから序盤の50km(本部半島)は落車が多発するからと
事前に聞いていたので左端を慎重に進むが5kmくらいで
後方から落車音…
その後も前々走者がパイロン倒すわ、なんやかんやで
集団内のデンジェラス感は収まりそうにない。
海岸線に出て道幅も広くなった辺りから落ち着き始めたかと
思ったが22km地点の何でもない下りのストレート。
前方で大きな落車音、「マズイ」と思ったが見れば10人以上が
折り重なるように山となって進路を遮っている。
もうそうなったらフルブレーキで突っ込むしか選択肢がなく
ただ前転だけは絶対避けたかったので直前で左にスライディング。
そこそこなソフトランディング完遂(笑)
重なったバイクから脚を引っこ抜いて立ち上がる。
打撲はあるが擦過傷はなかったのでリスタートを図るも
ボトルが吹っ飛んで2本ともないがな!
阿鼻叫喚の中を必死で探して奇跡的に2本回収。
5分くらいロスしたかな。
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そこからは先を行く大集団を遅れた選手とバラバラ追う展開。
大集団のペースがさらに上がるであろうR58に出るまでに
追い着かないと地力で劣る私は完全にレースが終わってしまう
とほぼ全力走。何とか今帰仁過ぎ辺りで集団のシッポに合流できた。
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道幅の広いR58から与那までは見通しもいいので気分的にはひと安心。
それでも時折、前方で落車が発生したりと油断はできない。
前に上がれば良いのだが、ベースのスピード域が高いのでそれも侭ならず。
それならと風の影響がある区間だったので大柄な白人選手の後ろで
ダメージ回復を図る。飲めるうちに早めにジェルも摂取した。
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国頭を過ぎ、大集団は普久川ダムの登りへと向う。
登り口までの70kmの平均速度は約40km/h。
もちろん落車込みだ(笑)。
ダメージがないと言えばウソになるが、実際登り始めると
やっぱりウソじゃないことを実感させられた。
序盤の1kmあたりから徐々に遅れ始め…
斜度のキツくなる2kmから先頭集団は遥か彼方へ。
グルペット集団に混じって淡々と登り続けていると
後方の方から「ブレーキシューが当たっていますよ!」と。
そう言えばずっと異音がしていたのだが私だったんだなと。
仕方ないのでブレーキをフルオープンにしたのだが
その後のピークからの下り、キツ目のコーナーで
後ろのブレーキがまともに効かず、本当に死ぬか思った…
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そこからはマージン取りつつ、なるべくノーブレーキで下る。
辺戸岬に向う区間は二人で。「なんとか与那まで二人で行こう」と
励ましながら進んでいたら、辺戸岬を下った海岸線で
後方から10人くらいの集団が追い抜いていった。
「これに乗るしかない!」ととりあえず合流。
「私仕事しますよ」という姿勢を早めに見せておかねばと
キツかったがローテにもきっちり加わっておいた。
結果的にこの集団のおかげで脚切りに合わずに済むことになる。
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その追走集団の中を俯瞰すると2人強い選手がいた。
1人はエルドラード・エスペランサの方(終了後挨拶)。
1人は若いヒルクライマー(終了後挨拶)。
案の定、次の普久川ダムの登りもその2名がペースを作る。
決して楽ではないが、着いて行けないほどでもない。
そこは着かず離れずで最後のピークだけ全力でしがみついた。
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そして下り…
ヘタにブレーキをかけると終始シューがホイールに
当たったままになるので後ろは使わず
コーナリング少し攻め気味でクリア。
時折立ち上がりが遅れる時もあったが安全区間で
きっちり差を詰めるようにした。
次の高江の登りのいやらしさはこれまで何度も泣かされているので
ここでも上げ過ぎないように脚の頃合いを見ながら登坂。
ダメージはあるが脚の痙攣の気配はここまでなし。
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高江から東村へ。
この辺りに来ると例年、沖縄を走っている悦びを感じる。
深いやんばるの森を抜け、左手に太平洋が見えるその一瞬だけだが…
集団は前から落ちてきた選手も加わって10人強。
ごっつい外人選手の姿も。下りが殺人的に速いw
それでも島特有のアップダウンを過ぎるたびに集団から一人消え、二人消え。
最後の補給地点となる慶佐次では水をもらう。
ジェルやらスポーツ系ドリンクで口の中の不快感がひどかった。
「普通の水が飲みたい」
受け取ったボトルで口内を洗い流し、首筋にかけ、一気に飲み、
回収スペースにボトルを放り込んだ。
思えばここから少し身体も気持ちも覚醒した感がある。
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レースは個人的にここが最大の難所では?と思っている天仁屋の登りへ。
予想通り、コース脇には脚が攣って悶え苦しむ参加者があちこちに。
ここは本当に難所なのだが、今回はかなり余裕を持って登ることができた。
気が付けば集団の先頭でペースを作っていたのは私だった。
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ひとつめのピークを下る際、左からふいに某有名チームの方に
ズバンと抜かれたので、ちょっとイラッとする。
何もここで抜かんでもえかろうが(怒)…といった心の声(心の…)。
その後、ふたつめのピークを先頭で超えて、ちょっとタイトなダウンヒルへ。
この一年、ずっとマージン取って下っていたがこの時だけは解禁した。
もちろんマージンは取りつつもスパンとコーナリング。連続で。
下り切って後ろ振り返ったら集団は二人だけになっていた…(笑)
さっきの有名チームの方の姿はそこにはなかった。
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向い風の中、最後の難所、羽地ダムへの登りへ向う。
集団は再編成された6人。辺戸岬から残っているのは
エルドラード・エスペランサさんとヒルクライマーさんと私の3人。
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羽地の登りは序盤の平坦が実はキツい。
それでもローテからは降りず、そのまま登り坂へ。
2人、ペースを上げて前を行くがそこはじんわり脚が
攣らないギリギリの負荷で身体全体で推進力をキープ。
トンネル手前で2人に追い着き、そのまま進む。
100kmや140kmの方々をかわしながらトンネルを抜けて右折。
ここからピークの羽地トンネルまでが悶絶区間なのだが
今年はそこからもペースは落ちず。
慎重にアップダウンの厳しいジェットコースター区間をこなし、
最後の橋を渡るとやっとやっとたどり着いた羽地のピーク。
その手前で後ろを確認するとエルドラード・エスペランサさんの姿のみ。
そこからエルドラードさんが目一杯下りを攻めてくれたのだが
途中、100kmの方がラインにかぶって私は離れてしまう。
下り切ったところからラスト6km。
エルドラードさんと合流、うしろからも3人ほど合流。
エルドラードさんがその時、なぜか私に謝るので
「ここまで来れたのはあなたのおかげ。ありがとう」と応える。
そこからは牽く気満々で最後のTTモードへ。
脚はまだある。行ける。
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と今年練習してきたトルクフルなペダリングでグイグイ(自分比)
踏み続け、最後のイオン坂手前で後方を確認すると集団はかなり離れている。
もうみんな脚も攣りまくりで踏めない状態。
「一緒には無理か」とそこからはソロで。
名護へ戻って来れた安堵感、練習のこと、仲間のこと、家族のこと。
急に堰を切ったように、様々な事象が頭の中をよぎる。
それでも脚は機械のごとく踏み続けることを止めない。
最後のカーブを左に曲がり、残りのストレートを踏みしめる。
ゴール。
おきなわが終わった。
リザルトは残した。
リザルトは三桁だったが三桁は三桁なりの
ツールドおきなわがある。
そして参加者は本当にタフな連中だった。
残念ながら「レース」に参加する力がなかったが
この6時間が、わが人生の時の時だったのは間違いない。
正直、今の気持ちは
まだ自分には伸びしろがあると信じたいといったところか(笑)
また明日から走ろう。