もう叶わぬもの。

昨夜は久しぶりに遅くまで痛飲。
ただ作り手の顔の見える料理を仲間とつつきながら
飲む酒は悪性のアセトアルデヒドとは無縁でダメージはなし。


確かな素材(鴨肉も鶏肉も野菜も)を過分な化学調味料
香辛料を使うことなく、素材の旨味を尊重しながら、
普通に供す店は本当に今の時代貴重。


いつだったか大箱居酒屋に仕方なく連れて行かれて
頼んだ「つくね」がもう化学調味料と香辛料の塊で、
夜中に喉は渇くわ、朝起きたら脚がむくんでいるわで
酷いことになった。大して飲んでないのに二日酔いも酷かったし。


いい酒、いい店、いい仲間が酒席の条件だと昔の人は
論破したが至極正論だと思う。


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話は変わり…
中村勘三郎氏が一昨日亡くなられた。


ワシは、歌舞伎のことにはまったく疎いのだが、
勘三郎氏だけは忘れ得ぬ思い出がある。


今から10年くらい前か。
その頃のワシはある種の人生のどん底期で(またかよ)、
仕事を終えると遅い日はホテル暮らし、早い日は玉島の実家へ
帰る空虚な毎日を過ごしていた。


たまに実家に戻れた日は、親父らと夕食を終えた後は、
2階の自分の部屋に引きこもり、悶々と一人夜を過ごすのみ。


ズルズルと強い酒を飲み続けるだけで、本も読まない、音楽も聴かない。
ただ無作為に時間が流れるのに身を任すだけ。一人だから話すこともない。


自分の失ったものをひとつずつなぞるような…底なし沼のような連鎖。
思わず部屋の空気の重さにいたたまれなくなって見る気もないのにテレビをつけた。


チャンネルはBSかNHKの教育だったと思う。
画面から流れるのは歌舞伎中継。


反射的に「ツマランなあ」と。


とはいえ民放の掃き溜めのような番組を見る気力はワシにはなかった。
5分くらい、漫然と画面を俯瞰する。


中村勘九郎
演目は「平家女護島 俊寛


俊寛」についての説明は割愛する。


物語はクライマックスを迎えようとしていた。
赦免船に乗り込んだ三人に向かって、笑顔を見せる俊寛勘九郎)。


遠ざかる船。三人の声に必死で聞き耳を立てるが、やがてその声も届かなくなり…。
絶望的な孤独に耐え切れず、思わず海に飛び込む俊寛の哀れさ。
そして岩場に登り、狂ったように叫び声を上げ続け…。


だが、やがて船の姿も消え去り、唖然と海を眺める
俊寛の目に映るのは、ただ遥かに広がる水平線のみ…


中村勘三郎(当時:勘九郎)の演技を目の当たりにしたのは
そのときが初めてだった。もちろん彼の梨園のみならず、
日本の芸能界での特異な存在感は、以前から知ってはいたが。


歌舞伎の「俊寛」は、近松門左衛門人形浄瑠璃がベースになっている。
当然、過剰な喜怒哀楽のやり取りなのだが、この時のワシの渇き切った
心根に勘九郎の演技は、暴力的なまでの一撃を与えた。
真っ白な和紙に漆黒の墨汁で感情を叩きつけるように。


勘九郎が全身全霊で演じる俊寛の絶望。


その後、いつか中村勘三郎の「俊寛」を直に見てみたいという思いを持った。
ただそれから何年もの間、俊寛を見る気持ちにはなれなかった。
なぜなら、それほどまでに勘三郎が発した絶望が身を刻まれるほどに恐ろしかったから。


ただ今なら見てみたい。いや見れるまでになったかもしれない。


ただ、勘三郎が没して、それも叶わぬこととなった。


そう思うと失ったものの大きさを感じるな。