最後に。一年前のある夜の話。

おきなわネタもこれが最後。
以下FBより転載。

なんと「cyclowired」に掲載されている
210kmの勝者・白石真悟選手(シマノドリンキング)の
優勝レポートの中の写真にワシが写っているがな。

※右から4人目、上下白のジャージ。
ちなみにワシの左2人目(先頭)が白石選手ですね。

カテゴリー混走、カオスなゴールシーン。
ほんまコケんで良かった…

写真 (c)Hideaki.TAKAGI




老後の良き想い出の一枚となりそうだ。


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もうひとつ。
本当に「おきなわ」について最後、ひとつだけ。


実はこの一年間、誰にも言わなかった話がある。
この話は実際、ワシの一年間のモチベーション維持に
かなりというか、ほとんどのパーセントを占めていたかもしれない重要なこと…


とはいえ本当に大事なことは自分の中に留めておくべきで、
公にすべきではないというのが、ワシのつたない人生訓のひとつにあり、
この話を書くべきかどうか迷ったが、この一年の心の機微は
紛れもなく我が人生の奇跡のひとつだから、あえて書き残すことにする。


要するに、稀有な体験だからね。


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話は一年前にさかのぼる。


沖縄が終わった後、Rフジワラさんと馴染みの寿司屋で一杯やった。
本来なら、沖縄のなんらかのお祝い、そしてシーズンの打ち上げといった
楽しい宴になる予定だったが、残念ながらマスターズも沖縄も結果がともなわず、
今ひとつ弾き切れない、達成感のない、そんな空気の夜だった。


それでも根がお気楽な性格のワシは「また来年がんばりますよ〜」くらいの
ふわふわとした気持ちで待ち合わせの寿司屋へと向かった。


ま、それもあとで思うにただお粗末に本当の気持ちを取り繕っていただけだと言えるけど。


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寿司屋に着き、先にカウンターの席に坐って、Rフジワラさんの到着を待つ。
間もなく、塾長登場。


挨拶を交わし、フジワラさんが
席に腰を据えるか据えないか、そんな一瞬のあと…


Rフジワラさんがワシの方に向いて、振り絞るような声で


「力になれなくて、すみませんでした」と。


「力になれなくて、すみませんでした」


「力になれなくて、すみませんでした」


そう言いながら涙ながらに何度も何度も頭を下げてくださった。


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そのときワシは一瞬、何が起こったのか、不意をつかれた状態で
気の効いた言葉も返せず、ただオロオロと頭を下げ、カウンターの木目に目をやるのみ。


てっきり、「残念でしたね〜」とたわいなく酒でも飲むのかと思っていたら…
塾長の本気の涙、本気の言葉。


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エエカッコするのではなく、偽善でもなく、
ワシはそのとき、本当に自分のアホさ加減を恥じたな。


消えてなくなりたいと思った。


なぜなら、Rフジワラさんがそこまで本気になってワシのことを
思ってくれていたことをワシはまったく分かっていなかった。


どこかで甘えがあったのだ。要するに卑怯者。


死ね。aka-madone。


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ええ歳こいたオッサンがシラフで涙を流してくれるほど、
ワシは練習したのか、努力したのか。


イヤしていない。
だって惨めに負けただろ。
「これくらいでいいわ」と集団からみすみす遅れただろ。


M練だ。プッチだ。といい気になって大将気取りで…
でも肝心な局面でズルしていただけじゃねえか。


だから弱いんだよ。ヘタレ。


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ま、そういう話で。


今年、練習をズルしたいと思ったとき、ワシはワシのチンケな
レースのために泣いてくれたロードの鬼のことを必ず思い出した。


だからマスターズでシッペこいて、
この沖縄にプレッシャーがなかったといえばウソになる。


6位はギリギリ及第点。


この沖縄で沈んだらWAVEのジャージもプッチのジャージも封印しようと
思っていたがそうならなくて良かったわ。ふ〜


まあ、この面倒くさい性格は死ぬまで変わらんじゃろ。


おっさんの大センチメンタル大会は、これで終了。


こんな話はもう二度としない。
だって来年もあるからね。