祖父と祖母の遺産

そういえば先日ゴルフの話をした際に
ひとつ思い出したことがある。


その話とは尊敬するかつてのゴルフ師匠から聞いたものだが
とある行政のお偉いさん(つまり公務員)だったか
一流企業のお偉いさんだったかがゴルフを語るに
「あんなもん自分の金でやるもんかな?」と言い放たれたそうだ。


つまりゴルフなんぞは人の金(ご接待)でやるものであって
自腹を切ってまでやるものではないと…。
ここまで言い放たれたら、呆れてものも言えないが
そういう輩でも莫大な退職金と退職後は手厚い
年金を懐に入れて、悠々と生きているのが今の日本。
(ま、すべてのお偉いさんがそうだとはもちろん言わないが)


まさに唾棄すべき存在とはこういうヤツのことですな。


その話をしてまたまた思い出したのがワシの母方の祖父と祖母。


祖父は船大工でいわゆる和船(小さな木造船)を造るのを生業としていた。
昭和の初期から40年くらいまでかな。腕のいい大工だったと聞かされていた。


ワシが物心付く頃には、職人もキッパリ辞めていて、
毎日、小さな庭に並べた盆栽をいじり、昼には燗酒を1本(夏でも燗)、
もちろん夜も燗酒を何本か。肴はそれこそ丸福さんの義理のお父さんが
近所まで行商されていた時代で毎日、活きのいい地の魚のみを
自宅まで持ってきてもらっていたのを子ども心に覚えている。


夕闇せまる縁側で盆栽を眺めながら、酒をちびりちびり。
ラジオからは阪神タイガースの実況中継。
たまに遊びに行ったときによく見た祖父の後姿。


日々の楽しみは酒と盆栽いじりとプロ野球観戦(熱狂的なトラキチだった)。
毎日新鮮な魚を食べ、秋には絶対に地の松茸を食す。
お茶にも凝っていて、備前焼人間国宝の茶器ですすっとった。
ワシは子ども心に人間は歳をとったら祖父のように毎日のんびり
好きなことをして好きなものを食べて暮らすもんだと思っていた。


そんな暮らしぶりだから、祖父にはそれなりに蓄えもあったんだろうと
周りの誰もが思っていた(ワシの親父もね)。
その後、祖父が先に逝き、5年前に祖母が逝って、亡くなった
母の代わりにワシに遺産分配の話が伯父から持ち込まれた。


ワシは「入りません」と伯父に伝えたのだが
実直な伯父(元・大工)はそれを許してくれず「大事なものだから」と
説得され、結局は相続することに。


で、最終的に祖父と祖母からいただいた遺産はといえば…



なんと50,000円。



相続人の数から逆算するとどうやら遺産は数十万円だったようだ…。


で、ワシが何を言いたいかというと
「おじいちゃん、おばあちゃん、真っ当な人生を歩んでくれてありがとう!」
ということに尽きる。


ある意味ワシに似て(逆か)ものすごく偏った性格だった祖父だから
腕のいい職人とはいえ、金には淡白というか無頓着だったのは想像に難くない。


何にも残さず、キレイに人生を全うしたんだなと
もらった50,000円見ながらワシは大笑いしたよ。


その金は、母親の仏前にお供えして、
あとはみんなで飲みに行ってきっちり使わせてもらった。
うまい酒呑んでうまいもの食って、それでおしまい。
祖父も祖母も喜んでくれたと思う。