アホアホの魂とは…

タイトロープな仕事ぶりが続いている。
一日でも休んだらもうアウトの状況。生きることは世智辛い。


「PT買いなよ」とZeidaさんそそのかしたら、ほんまに買ったらしいがな。
なんてシンプルでストレートな生き様なんだろうか…ってアホアホ?


ワシはこういう後先考えない人が昔から大好きだ。
自分がチマチマと石橋を叩いて渡るタイプなだけに憧れがある。


だから場末の飲み屋でクダ巻いているアル中のおっさんとかに
妙に惹かれて、自分もそっちの世界に行ってしまいたくなるときがある。
(あ、こう書くとZeidaさんとアルのおっさんが並列化するな。文章変だ)


ロードなんか乗っていると妙にストイックに生きているようにも思えるが事実は違う。


あ、思い出した。
ワシがまだ4〜5歳の頃かな。親父が本家の兄貴(おじさん)と大喧嘩して
家を飛び出し、我が家が貧困を極めていた頃の話だ。


我が家は風呂もない小さな借家。でも子どものワシにとってそんなことは関係ない。
周りは緑にあふれ、ご近所さんは慈愛に満ち、ワシには3人のガールフレンドがいた。


話が進まんがな…
要は我が家からちょっと離れた山道のそばに一軒のコンクリート製の家があって
そこに一人のおっちゃんが住んでいた。


コンクリート製といってもそのおっちゃんが自分でセメントべたべた塗って作った
インチキ感満点の隠れ家のような家でご近所さんからは風変わりな人と思われていたようだった。


ま、おっちゃんはいつも旧日本軍みたいな軍服姿だったから当然といえば当然なんだけど…
事実、傷痍軍人だったようでどっちかの脚が義足だったと記憶している。


おっちゃんは恩給とかで暮らしていたのかな。仕事はしていないようだった。
ワシらが近くにいくと、セミの取り方を教えてくれたり、竹とんぼを作ってくれたり、
なんといっても一番の思い出といえば、お好み焼きを焼いてくれたりしたんだよなあ。
子ども心に初めて食べたお好み焼きは衝撃的で、濃厚なソースの味に恍惚としたものだった。
具はキャベツがちょろちょろのお粗末なものだったが…


おっちゃんは当然朝から飲んでいた。透明だったから日本酒か焼酎だったのかな。
おっちゃんの家は粗野だったけど、ドライバーやニッパーをはじめとする工具類が
充実していて、金属の切れ端や丸太が部屋の隅に置いてあって
男の砦といった佇まいにワシはいつも高揚していた。


その後、ワシは引っ越したためおっちゃんがどうなったかは知らない。
もちろん今生きていることはないだろう。


で、何が言いたいかと言うと、ワシは話がツマラン親戚の勤め人のおっさんや
公務員のおっさんよりも、その軍服のおっちゃんの方が好きで憧れていたんだよな。
どうしたらあんな風に竹とんぼが作れるんだろうか。どうしたらお好み焼きを
完璧に裏返せるんだろうか…って。


翻って考えるにツマラン大人が多すぎるな。
社会的、金銭的には滞りなくやっている人は多いだろうが、
なんていうのが謎めいた深みというのか、ゆるい遊び心というのか、
余裕のある大人が少なくなった。


リッパな大人より、片足のないアルのおっちゃんの方が
少年の無垢なる琴線を大いに刺激することもある。
というか、そんなおっちゃんにも生き場所が昔はあったんだよな。


日本が余裕のない、懐の浅い国になっているのはそういう部分もあるのでは。


またしても話が脱線したが岡山のアホアホ&ヘンタイには
アルのおっちゃんの居ずまいを残して欲しいな。
それが日本のためじゃ…ってどうなんよ〜


【総括】
美山サイクルロードC3Sエントリー完了!忘れるところだった〜