5分と60分の差異。

今年の夏はどこにも行かなかった。
行かなかったというのは「泊まりありの旅」のことで、
もちろん手付かずの時間を設けては
あちこちへ出向きロードバイクを乗り続けた。


お盆の間に、自宅の裏庭と横に防草シートを貼り、
気になっていた朽ち木や雑草を取り払い、
夕方は必ず時間をかけてたっぷりと庭木に水をやった。


不思議なもので自宅に帰ってすぐの頃は、
まだ澱んでいた部屋の空気が
人が語らい、歩き、昼寝し、酒を飲み、夕餉をつつくうちに
生きている家へと変わっていった。


毎日定点にいると、その変遷がよく分かる。


昨日までそこにあった蜘蛛の巣が今日はない。


ただそれだけで人は日々を生きているものなんだなと実感する。



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わが家は古い日本家屋で築34年になる。
その割にはあまり傷んでいないのは親父が丁寧に手入れしてきたからだ。


親父は掃除好きで手先も器用だったので大概のことは自分でやっていた。
庭木の剪定も、壁塗りも、細かい修繕も。


57歳であっさり退職し、あとはのんびり年金暮らし。
時間もたっぷりあった。


休みの間に、家の中をゴソゴソ片付けていると初めて見るものが
天袋の奥や押し入れの隅からゴロゴロ登場。



本当は他にもあるのだがさすがにブログに掲載するのは憚れるのでカット。


自宅だと思っていた家だが、まだまだ自分は何も知らないんだなと苦笑いがでた。


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たまたま休み中にご近所で不幸があり、
お悔やみやら告別式やらで町内の方と久しぶりに話す機会があった。


お悔やみに行った後に、町内の人と通夜や告別式の手伝いについて
話す場に同席したのだが…


町内会長のグダグダの仕切り(笑)。
決めるべきことは明確なのにそこへ至らない流れの悪さ。


私なら5分で決めることを延々と小一時間。
田舎とはそうしたものかもしれないがとてもじゃないが
町内の役員など、私には出来ないだろうと帰り道に痛感した。


もちろん皆さんほとんどセミリタイヤした方ばかりで
時間など無尽蔵にあるというか、時間の感覚さえないといった様子なのだが、
まるで蛇口を開きっぱなしにして貴重な時間を垂れ流すような
行為、というか生き方は私には理解できない。


5分と60分。


その差があれば、ちょっとした練習ができるじゃないか!


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似たようなことはかつて少年野球の役員をしていた頃、
連盟の会合や会議に出席していた時にも経験した。


会議といってもとにかく話が本題からすぐ脱線する(笑)。
年長者が話し出すと、次第に自慢話に移行する。
挙げ句の果ては昔話から人のうわさ話へ。


これが世の常なのかもしれないが私は自分がすべきことは全力で
サポートするがこの手のグダグダだけは勘弁してほしいと願った。


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そういう理由から会議やオリエンや病院の待ち時間や昼食や待ち合わせや
渋滞や通勤時間や義理の飲み会や不毛な接待等をギリギリまで削って
仕事とプライベートと練習時間を捻出しているのだが、
ああ何を書いているのか分からなくなったな。


要は…


たかだか岡山と玉島でさえ時間の差異がこれほど違うとは…ということ。


もちろん個人の認識の差がすべてだが、これほど密度が違うと
あらゆる面での生産性にも影響するのではと思う。


「のんびり」と「グダグダ」は違う。


来年は50歳。


浮き世の義理と生の本質のバランスをどうやって取って行くか。


ま、町内では「変わり者」で通っているので


このまま自分のペースでやるつもりだけど。


自宅のソファに寝転んで、いろいろ想うお盆だった。