あれから2年。

FBとかぶるが、ミジンコさんの言うように
ブログにも今日の思いを残しておく。
考えてみれば物書きのワシにできることは
結構、限られているしね。

今週末は親父の三回忌法要。

仕事場に差し込む西日を浴びながら思い出すのは2年前の初秋。
親父が旅立つ前の夜、いつものように仕事場を2時間だけ抜け、
岡山から電車に飛び乗って倉敷の病院へ向かった。

病室に入るといつもいてくれる姉や付き添いの方がたまたま不在。
夕方の6時半くらいだったか。ベッドの背もたれを上げ、足を伸ばし、
なんとも穏やかな表情の親父。ワシはベッド横のスツールに腰掛け、
そうするといつも親父が「気持ちがええ」と喜ぶので
馬鹿の一つ覚えと思いながら、抗がん剤でむくんだ父の足を揉んだ。

ときおり親父の顔に目をやりながら、指先で足に気を込めながら、
二人だけの時間を慈しむように、とつとつとしゃべった。

家のこと、姉のこと、子どものこと、ワシのこれからのこと、亡き母のこと。
どれもたわいのない想い出話ばかりだったが親父の語り口は穏やかそのもので、
ワシは「そうじゃな、そうじゃな」と頷くことしかできんかった。

ちょうど今日のようにブラインド越しに晩夏の強い西日が差し込み、
病室の中は、黄色いモヤがかかったような、まるで今この時ではない、
その時間はずっと前に通り過ぎたような、それともこれから迎い入れるような
フワフワと落ち着きのない浮遊の狭間。

「仕事はええんか」という親父の言葉に、ハッと時計を見ると針は8時を回っていて、
その言葉がふいの別れの合図のごとく「そろそろ行くわ」と病室を出たワシ。

次の日の朝は10日後と迫ったマスターズに向けての最後の追い込み練。
朝6時から早島の丘陵地を藤原さんと二人、マックスで駆け回る。
駄馬は駄馬なりに粘るしかないと必死に藤原さんに食らいつきの1時間半。
気持ちが研ぎ澄まされていたのか、その日はいつになく調子が良かった。

「マスターズ、やりきりますよ!」
藤原さんと満足の笑みを交わし別れ、仕事場に着いた頃、父急変の一報が。

あとは永遠の別れと日々の現実。人の情と無情の交錯。マスターズはDNS

あれから2年。
庭の草取りと毎週の墓掃除とタイトな仕事とこれまたタイトな練習とレースと
代えの利かない大切な自転車仲間とワシなりの向上心と怠け心とささやかな夢と
無条件で支えてくれる人に囲まれてワシは今を生きている。

この2年でまた頑固になったかなあ。
相も変わらず日々彷徨いながら生きているけど、もうちょっと待て親父。

無粋なまでに遠慮のない今日の西日を浴びながら、そんなこと不意に想った夕べ。