親離れと子離れ

昨日は近親者の葬儀があり、M練はDNS
いろいろな思いが交錯しながらのお見送り。


葬儀の場では、かつて一緒に少年野球を指導していた
監督さんと5年ぶりくらいに再会。


現在はもう監督は辞しているのだが、辞任の要因となった
昨今の親事情(つまりモンスターペアレンツですね)を聞いて
いろいろ考えさせられることが多かった。


ワシらの時代とはまったく違う価値観を持ち、それを100%正しいと
疑いなく思っている親連中を相手にするのが怖くなったとも言っていた。


子どもを叱ったら(これも指導の一部なんだけど)
次の日に何人もの親がドヤドヤ、グランドに来てつるし上げにあったそうだ。
入部前は「厳しく指導してください、言うこと聞かなかったら殴ってください」と
言っていた親が、いざ始まると全く逆の反応〜


ワシに子育てを語る資格はないが、昨今の親子の間柄を見ると
親離れできない子ども以上に、子離れできない親が多過ぎる。


大学の入学式にじいさん、ばあさん一族郎党で押し寄せるあの感覚が理解不能
高校出たら、もう当分ほっといてやれよと思うのはワシだけだろうか。
(こういうこと書くとまた嫌われるんだよね)


まったく定点意見にはならないが、ワシが大学行ったときは、
4年の最後の春に親父が東京旅行がてら一回だけ女連れて遊びに来ただけで、
もちろん入学式も卒業式(行ってないけど)もな〜んの愛想もなし。
ただ金だけはくれた…いい目に遭おうが、痛い目に遭おうがすべて自己判断。
それがワシにとっては最高に心地よかった。


これだけは思う(ワシ的考察です)が、子離れできない親には悲惨な老後が待っている。
普通に考えればわかる。たとえ親子であろうが依存しすぎるとろくなことはない。


熊は子熊が幼少期の頃は、もう身を挺して我が子を守る。
ただある時期を過ぎると、暴力的に180度態度を豹変させて
子どもを自分のテリトリーから追い払ってしまう。
子熊は泣く泣く親元を離れていくそうだ。


理由は言うまでもない。親の存在が子どもの自立の妨げになるから。
そもそもいい歳こいた子どもに親が付きまとうのは、愛情じゃなくて
自分が淋しいからという人が多いのではないか。つまり自分じゃ、
次のステージに行くことができなくて、いつまでも子どもや
そのネットワークでぬくぬくと過ごそうとしている…
利権を守るのに必死な政治家や官僚と変わらんやろ。


ワシは7年間、少年野球に携わったが子どもが卒業したら
スパッとそのネットワークとは関係を断ち切った。
のこのこ顔出してOB面するのはアホだと思ったからだ。


正直、淋しくなかったと言えば嘘になる。
7年間の土日祝のプライベートな時間をすべてそこに傾注していたので
コーチを辞めたときは、巨大な虚脱感と埋められない淋しさを味わったが
きっちり43歳にして波乗り(極端すぎる…)を再開し、
ちゃっかりロードバイクを再開し、今に至る。


極端な性格と言えば性格だし、もう少し融通をつけたら生き方も楽になるのにと
思うこともあったが元来、昔話を何度も何度もできるような性格じゃないからね。


いつかはロードバイクもあっさり降りるのだろうかとも思うが
非常に稀なことに、これだけは身体が続く限りは続けたいと今は思っている。


あ、そういえば監督の奥さんが
「●●コーチ(ワシのこと)、自転車で優勝してテレビに出てたでしょ!」だって。


監督の長男(某高校の元エース)と奥さんが夜テレビ見ていたらワシが出たらしく、
長男が「●●コーチがでとる!」と絶叫したらしい。
(昨年の国際耐久の映像だったよう…)


タバコすぱすぱ吸って、大酒喰らっていた●●コーチ(ワシ)が自転車乗っている…と
当時のワシを知る人はアンビリーバブ〜だったそうだ。


かつての子どもたちにも、人間は変われるんだよと言いたいね。


※読み方によっては、ずいぶんイヤミな内容じゃがな…。あくまでワシ的意見です。