日本スポーツマスターズ2011石川大会レポート完結

【6周目ファイナルLAP】


5周目のスタートゴールライン後の登りを3番手で通過。
そのままN村さんの後ろに位置取りして下り区間へ。
ボトルを取って水分補給。ライン取りも問題なし。


ここまではほぼ狙い通りの展開。
周りにはほぼ上位陣が陣取った感じ(ワシ以外はね…泣)。


それまでは、もしかしたら揺さぶり的なアタックがあるかと思ったが
多少のペースアップはあったものの決定的な動きとはならず。


登りでは必ず誰かがチェックに入るため本気で逃げるという空気はない。
というか様子見のペースアップといった感じなのか?


サッカー場横の緩斜面を周りの動きを見ながら4番手あたりで通過。
大きく左折して遊歩道のピークへ。そこは風が遮られた区間だったためか
前述の「シュルシュル」という異音がことさら耳に入ってきた。


もったいぶっても仕方ないので告白するが…
フロントフォークにベルクロ(マジックテープ)で固定した計測チップが
振動で下まで落ちて、延々とBORAのスポークにこすれていたということ。


ゴール後に苦しさと悔しさと情けなさからハンドルに顔をうずめていたときに
気がついた…「あれ、計測チップが…落ちとるじゃねえか!」って。


だからといって誤解してほしくないが走りにはまったく影響はなし!
ただプラスチック部分があたってスポーク破損→落車という
最悪のパターンだけ避けられたのは不幸中の幸い。
それだけは想像したら、ゾッとしたな。
とはいえゴール後はカリカリきていたからそんなことどうでもよかったのだが…


再びレースへ。
5周目のギャラリーコーナーは2番手で通過。
最終周回の鐘が鳴り響く中をそれぞれが最後の勝負に向けてまい進する。


ゴールラインを過ぎたところで一人が集団右側からアタック!
左側に位置していたワシは一瞬、中央に目をやるが誰も反応せず。


一瞬考えたが身体の方が反応して一人で追走体勢に。


最大5mくらいの車間をピークまで余力を残しながら詰めてケツに付く。
当然ながら後方にはぴたりと集団の気配。ピークで脚を確認してみるに…
う〜ん、ちょっとじんわりダメージがあるような気もするけど…


結果的には無駄に脚を削ったのか。
いや確実に無駄に脚を削ってしまった局面だった…。


最後の下りは慎重に。ここでコケたらアホ丸出しだよと細心の注意を払う。


下りきって大きく左へカーブ。
登りはじめを4番手くらいで登り始める。


センターラインにキャットアイが埋め込まれた右カーブの坂。
次の瞬間、シルベストジャージが動く。右車線からN村さんが急加速!
一人挟んで左側を走っていたワシは人がかぶっていたため、2テンポ反応が遅れる。
「マズイ、こっちのラインは斜度がキツイ…」。


後方から5人ほどの集団がペースをあげてN村さんを追う。
その中には見慣れたチーム岡山のジャージ…アンドウさんだ。


緩斜面に入って一度リセットして集団の最後尾に張り付く。
そのとき…集団のペースと自分の意識の差異に気が付く。
「スピードに付いていけない」


あれ?あれ?なんで?
ここだ、ここだ、ここだ…
付かないと、付かないと、付かないと…
回せ、回せ、回せ…


緩斜面中盤あたり。先頭を行くN村さん、10mあけて追走集団。
そのあと5m遅れでワシ。目視ではまだ行ける。
ここさえ粘ってピークまで行けば…いや行く。行く。行きたい…


声にはならなかったがワシはもう絶叫していた。
ただ、キモチとは裏腹に予想以上に疲弊している脚に愕然。
回せど回せど進まないmadone。遊歩道の入り口で一人にパスされると
本当に絶望感が全身を覆いかぶさるように…。


もう、その人さえ追う脚がなかった。全身に鳥肌が立つほどの悔しさ。
さっきまで軽々と登っていた遊歩道のピークが本当に遠く、
全身に疲労が鉛のようにまとわり付く。いつの間にこんなダメージが…


涙こそ流れてはいなかったがワシはもう泣いていた、その時は…


ピークを過ぎ、アップダウン区間に入るとまた一人後ろから。
朦朧としながらジャージを見ると「シマノドリンキング?」。
「あ、最前列に並んでいたE-1の方だ」と一瞬、現実に戻る。


「この人にだけは付いていかねば」とスカスカの脚をもう一度リセット。
たださすがのシマノドリンキングさんもかなり疲弊しているようで
スピードは上がらず。途中から先頭を交代してギャラリーコーナーを通過。



ゴールまで300mの看板。ただし情けないほどスピードは乗らず。
そのまま200m、早くゴールしたい。キモチは前に行くもmadoneが重い。


最後下りストレートを登り返し、あと10mというところで
シマノドリンキングさんに刺されてヨレヨレでゴール。


もうそのままタクシーに乗って帰りたかったな。


【総括】
力負け。最後まで勝負に絡めなかった現実。
あれだけ多くの人に応援してもらいながら入賞さえできなかった
自分がなんだかチンケなピエロのように思えて惨めだった。


駄菓子菓子…
考えてみれば、よくあそこまで走れたじゃないか。
物事、贅沢言えばキリがないわいとよく親父から言われたがな。
1年前のワシなら100%序盤でチ〜ン。いや半年前のワシでもチ〜ンだったろう。
M練を重ねたからこそあの局面まで走れた。それだけは紛れもない事実で、
素直に喜ぶのが生き方上手!と自らを鼓舞するの図(レース3時間後)。


しかし…
あの最後の局面を克服するには、1回1回の練習を大切にするしかない。
今だから言うが8月のMAX練あたりからRフジワラさんに
口が酸っぱくなるほど言われていたことがある。


「その一瞬に反応できるかできないか。ロードレースはそれで決まるんです。
今はその一瞬のために練習しているんですよ。だからすぐ諦めたらダメですよ!」
そして最後には「本当は追い込んでいないでしょう」とも。


確かにある時期、塾長からは遅れても仕方ないといった走りでピークまで登っていた
ワシのズルさを塾長は見透かしていたのだろう。的確に指摘されて、そんな風に自分を
安全地帯に置いて「MAX!」などとご満悦になっていた自分が恥ずかしくなった。


そのみっともなさが嫌になったのと、あることが転機となって
その後は自分なりにMAXを貫いたつもり(プッチモニもM練も)。
だから愛宕山TTのレコードが出たときは本当にうれしかった。


話が脱線してきたのでこの話はもうお仕舞い。
次はツールドおきなわ100km
その前に中国サイクルグランプリを考えている。


最後にワシのわがままな練習にお付き合いいただいた皆さん、
応援してくださった皆さん。本当にありがとうございました。


こんなにたくさんの人にエールをもらって走ったのは人生初。
これからも人生最速をさらにめざします。