思うことつらつらと…

取材と打ち合わせに追われつつも今日は原稿書きが予想外にはかどった。
スラスラと指先がキーを追うというのか、なぜか頭がクリアだったかな。


ところで相変わらずの自転車ネタだが、昨日あたりは1月の総括とやらを
アップしている人が多かった。この厳冬の中を1000kmクリアしている人も多く
さすが強い人はしっかり乗っているなと実感。


ワシは実走900kmくらいでローラー延べ7時間、ラン30kmくらいかな。


これだけテクノロジーが進化した時代にこんなトレデータしか書き記せない情けなさ。
GarminかPowerTapがあればと思うがいまひとつ思い切れない。


そりゃそうとHoneyさんのブログに

私はいつも自分が癌と宣告され余命5年だとしたら、
何をしたいのか何をするべきなのかを考えるようにしている。

と書いていたので思わず「余命5年は長いがな」とコメント入れてしまった。


あれだけのケガをされたのに、というかケガをしたからこそのなんという覚悟。
やっぱりあの人は頭の中の線が1本切れ…いや混線…いや胆力がすごいな。


思わずワシの親父のことをコメントしたのだがせっかくだから今日はもう少し加筆しよう。


親父の主治医に余命1年と告げられたのが昨年の1月。
「薬が効かなかったら、よくて今年いっぱいでしょう」とさらりと伝えられた。
もちろん親父には伝えなかったが、本人は治る気満々で病状の深刻さには
気が付いていないようだった(う〜んそうじゃなかったかもしれないが)。


その頃がワシ的には一番きつかったかな。1月、2月、3月…
一仕事終えて事務所の窓から見える西川公園の桜を見ながら、
ふと「あ、お父ちゃんは来年の桜はもう見れんかもしれんな」と思った瞬間に
途方もない喪失感に襲われた。親父の命の限りを実感で察知したのか。
屈強な足腰のワシがよろけるようにイスに座ったわ。


「来年は沖縄遊びに行ってくる」とか「良くなったら家の●●を買い換える」とか。
そのたびに「めんどくさいから今買おうや」と取り繕うことのやるせなさ。
抗がん剤治療が本格的に始まる前に一緒に温泉に行ったのが最後の旅行。
6月から薬を使い始めたら副作用で急激に衰えていった。


実は亡くなる前日は、なぜか奇跡的に仕事が早く終わって夕方5時くらいに病室へ入れた。
いつもなら誰かいるので二人きりになることはないのだが、その日は本当に奇跡的で…
親父の脚をさすりながら、久しぶりにいろんなことを話したなあ。


その日の親父はいつもより容態も落ち着いていて、しっかりとした口調で
家のこと、仕事のこと、ワシの身の上のこと、姉のこと、本当に二人だけの静かな2時間。
今思い出しても本当に穏やかな時間でなんか親子で調和していたなあ。
そんな時間がずっと続くのかとその時は思っていたが。


「また明日も来るわ」といってまた仕事に戻ったのだが岡山へ向かう電車の中で
「年末まではなんとか大丈夫かな」と楽観したが、親父は次の日の昼にあっさり他界した。


今していることが来年またできるとは限らないし、今そばにいる人が来年もそばにいるとも限らない。
以前ブログにも書いたがその後10月には恩人の妹さん(この方も恩人)があっけなく亡くなっていた。
病気が分かってからわずか2ヶ月ほどだったそうだ。ほんまあっさり。


駄菓子菓子…懸案だった庭の剪定もイシイ君の尽力により今月中にはメドが立ったど!
BORAがワンセット買えるくらいの出費だが、そんなもん原稿書きまくってやるお(シ〜ン)。
親父の愛した庭は、ワシの手によってまた蘇るのだ(あ、口調が変わった)。


それより早くレース走りたいなあ〜